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氷の髭 新型小説

大阪H市特飲街

1945年8月15日戦争は終わった。無条件降伏という地獄の泥沼に突き落とされた格好で。

1957年8月10日から物語りは始まる。終戦記念日の5日前である。

神国日本が戦争に負けた事は誰にも信じられる事ではなかった。全国民が日本の勝利を信じて疑わなかった。

最近(令和)になってその敗因を詳細分析した研究家、評論家の書物が大型書店でも並びだした。それらを総合すれば今まで完全に間違った第二次世界対戦、太平洋戦争の歴史観を覆すものばかりであった。
それまでの歴史観を校閲して発表するのは連合国軍総司令官のアメリカのマッカーサーであった。所謂アメリカが手直しした歴史観を日本国民に教育してきた。  

日本の大都市である東京、大阪やそれ以外の都市でも何度も米軍爆撃機B29の攻撃を受けた。広島、長崎の原爆は悲惨の一語に尽きる。

戦争の大災難は北朝鮮と韓国に飛び火した。両国がソ連とアメリカをバックに戦った朝鮮戦争(1950-53)である。

朝鮮戦争の時も日本のあちこちがアメリカの基地として利用された。

晩夏に瞬くブラックキャットの目

真弓は給料がよく米兵からたまに小遣いも貰えるのでこの職についた。

「姉ちゃんこんな仕事はもうやめろや」

「何言ってんねん清二、米兵のちょっと相手するだけで沢山お金が貰えるんや。今の世の中こんなに稼げる仕事は無いんや。それにこの仕事は日本政府も関わっているんやで。変な心配は要らんわ」

真弓はよく自分を指名してくれるマイクに好意を抱いている。マイクは故郷のアラバマにケイトという婚約者がいるが日本の基地に勤務になってからは、彼女に週一回出していた手紙も遅れがちになり結局先週は出せずじまいだった。万年筆を持ち便箋にペン先を走らせようとしても、頭に文面が浮かんでこず頭の中は真弓で占められている。彼も日本の基地に任務にならなかったらこんな事にはならなかったかもしれない。

彼の運命、宿命のなせる技だろうか。

「ヒューヒュー
通りで2人とすれ違ったトニーが口笛でマイクと真弓を冷やかす。  
季節は晩夏。朝晩は少し過ごしやすくなった季節である。 
マイクとトニーは

その時どこからか急に現れた黒い成猫が大通りの反対側から信じられないスピードでこちら側に走ってきた。まるでピューマの如く。

そして速度を落とすとマイクと真弓に飛び付いた。2人は驚き後ろに飛び退く。

そのすぐ後MPのジープがマイクと真弓が歩いていた歩道に突っ込んでバーの野外テーブルと店の壁に激突して止まった。ジープは整備不良だった。

こちらを向きその場にじっと立つ黒猫の眼は紅く光り本来の金色に戻る。

ブラックキャットは祠があった辺りを見ているのであった。  
1年前に祠があった所で雄の野良猫がMPジープに跳ねられて死んだ。 

ブラックキャットは女の子であった。人間で言えば24歳
猫は生後1年で人間なら18歳、2年で24歳になるらしい。  

ブラックキャットは少し凶暴に見えるが決して人を傷つけない。
めったに鳴かないが鳴き声は誠に愛らしい。
そんな鳴き声を出す時の眼の色は一瞬緑色に変わる。何とも不思議な猫である。

その内ブラックキャットは姿を消してしまった。
マイクと真弓も服の汚れを払いトニーに手を振りまた歩きだす。
「マユミ大丈夫かい。どこか痛くない?」
マイクはアメリカの大学で日本語を専攻していた。アメリカ軍に徴兵時その事はプラスに働き士官にも良く重用される。

真弓とマイクはT字路の突き当たりを右手に折れた。そこは丁度小さな教会と思しき建物の裏手にある小部屋である。入口の前に男は立っていた。

男は焦茶の上下繋がった制服のようなものを着ていた。にこやかに2人を見つめて
「久しぶりだね」と呟いた。

マイクも牧師も日本語が堪能であった。だから真弓も二人とのコミュニーシヨンに苦労しない。

牧師の名前はオズマ
白人と黒人のハーフである。
彼の親も彼自身も数奇な運命の持ち主であった。

ある日尊敬する歴史教授から自分の運命は変えることが出来る。自分がその当事者なのだから。という話から始まり教授の話す合理的現状認識とその主体的変革理論に心を奪われて実践する。

マイクと真弓はオズマ牧師の話を聞くのが好きであった。

牧師の話を聞くと自然と勇気付けられる。オズマは例えばアメリカ軍士官と話す時も物怖じせず堂々と自分の意見を述べる。  

又5.6歳の少女と話をするときはその子の人格を尊重して褒め称え決して上から目線でモノを言わない。

2人はオズマ牧師に伴われ小部屋に入った。入った瞬間左横の銀色のカーテンレールで休んでいるブラックキャットが眼が飛び込んできた。その眼は森林の様な深緑に輝いていた。一瞬その瞳に小鳥が飛ぶ。ブラックキャットの眼はまるで被写体を捉えるカメラのようである。ありえない。

例の猫である。まるでこの部屋の住人のようにリラックスしている。

真弓は何故かカーテンレールで休むブラックキャットの瞳に吸い寄せらた。ブラックキャットも真弓の眼を注視する。

未来予想図

矢庭にブラックキャットの瞳にある映像が浮かび走馬灯の様に変化する。

それは数人の男が追いかけっこしている映像で1人の男が2人の男に追いか
けられているようだ。
2人の男はアメリカ兵のようだ。

映像は約10秒間続いた。
マイクが真弓に
「どうしたの真弓」と聞いた。

「猫の瞳に映像が現れて」

ブラックキャットがカーテンレールから飛び降りた。
牧師がが与えた小豆カキ氷を食べている。

ガツガツ食べるからブラックキャツトの鼻先に氷の髭が付いている。ユーモラスだがブラックキャットの顔が精悍で端整なので美しい。

外で激しい物音がした。

教会に1人の若い男が飛び込んできた。そして間髪入れずにアメリカ兵2人が躊躇しながらも入ってきた。
逃げていたのは真弓の弟の清二である。

アメリカ兵はオズマ牧師に目礼する。 牧師は険しい顔付きで2人のアメリカ兵に誰何した。

「何事ですか? 貴方達は誰ですか?」

「我々はこの地に駐留している軍人です。突然の闖入をお許しください。改めてお詫びします。

年上のアメリカ兵が仲間と目を見交わし牧師に応える。

実はこの先のバーで、この男がこの仲間の金を奪ったんです。

「清二なんで盗んだん?」
真弓が問い詰める。
「こいつらが恵子にちょっかい出そうとして・・・・」

恵子も真由美に倣い商売をしようとしたのである。だから清二は恵子にも腹を立てていた。値段交渉をしていた米兵がドル紙幣を恵子の前にひけらかしたから清二はそのドル紙幣も憎くなり奪い取ったのである。

恵子はマイクと真由美の関係にも嫉妬心を抱いていた。私もそんな関係を持てる彼氏が欲しいと。

恵子の気性は激しい。叔父にテキ屋の元締めがいる。一族や知り合いからは2人の性格がよく似ていると言われる。叔父は恵子を溺愛する。
自分に子供がいないのもあるが。恵子は見た目はおとなしく可愛い子タイプに見えるが実際は全く違う。

叔父に護身用ケンカ空手を5歳から習った。両親は反対したが恵子は叔父の人間性と空手が芯から好きになった。

この街の荒くれも恵子に一目を置く位である。その武闘伝は後述する。

恵子が中学1年の時である。身長も伸び既に160cmに近づいていた。流派の西日本大会学生の部でなんと大学女子相手に準決勝を闘った。恵子の得意技は左右の回し蹴りと同後ろ回し蹴り。同飛び後ろ回し蹴り。突きは拳が小さく短いため殆ど使わない。

暫く攻防が続いたが相手の左下段蹴りに合わせ恵子が右上段後ろ回し蹴りを出した。恵子の得意なカウンター技である。だが相手も研究しており腰を屈めて見事に凌いだ。

実際は恵子の右爪先が相手選手の右頬を掠ったから審判によっては技ありとも取れる。浅めではあったが。

その後両者の攻防は続くが時間切れ。結局大学女子選手の優勢勝ちになって以来恵子は空手に対する情熱が消え道着を脱いだ。

恵子はテキ屋の祖父光善似で性格は明るく剽軽なところもある。 

その性格からは想像し難いセクシーな形(なり)をする。コケティシュのところがアメリカ兵にも受ける。  

修羅になれない愚連隊

ある日こんな事があった。地元のバーで違う愚連隊同士の間で小競り合いが起こった。

真弓と恵子もその場にいた。愚連隊数人はビールを飲んでいた。

彼女らは単に気分転換で飲みに来ただけである。この店ではアメリカジャズを流すのでそれも聴きに来た。

女の2人連れにはどうしても男の目が行く。アメリカ兵も愚連隊も。
真弓も恵子もバーの人気者だった。  
日本語に堪能なアメリカ兵がたまに恵子の空手の型をリクエストする。
気持ちが乗っている時は恵子もそれに応える。

両者男連中も少しは牽制する。   

愚連隊達が騒ぎ出した。
どうも敵対している愚連隊同士らしい。愚連隊は終戦後発生しだした簡単に言えば反社会集団。ヤクザとは少し違う。東京には有名愚連隊がいくつか存在した。

肩がぶつかったとかで喧嘩を始める。日本は実質(GHQ)連合国軍の監視下で愚連隊もそう好き勝手には出来ない。

除隊後愚連隊に入った者もいる。 
当然連合軍を恨んでいる者も。

そして鬱屈した思いを修羅の世界にぶち撒けるのだろう。

それが人間というものかもしれない。又人間の宿命ともいうべきものか。

愚連隊の中に幸二という男がいた。
滋賀県出身で6人兄弟、農家の長男。赤紙が来て健康診断にも通り陸軍に召集された。

中国に渡り中国軍と戦った。所属はトラック部隊。上官の少尉に運転をよく褒められた。

1945年8月15日終戦を迎えた。ハッキリ訳も分からず日本に返された。故郷の滋賀県に帰ったが親父の自営の田畑は親戚に譲った。   

兄弟姉妹は皆仕事を求めて大阪に出て行った。当のある者無い様々である。

幸二はスキルを活かして大阪の中堅の運送会社に勤め出した。高いスキルを買われて。最初は良かった。だが元々農家の息子で閉鎖的ない村育ち。  

他人とのコミュニケーションは大の苦手であった。上司とも馬が合わず会社を辞めてしまう。

ここのバーで飲んでいる時に愚連隊の兄貴分に誘われたのである。

兄貴分は兵庫県の出身だった。
お互い農家の出身でしかも長男坊同士。立場や苦労が共感出来る。

昔から農家は閉鎖的。村八分などの差別は当たり前。葬式と火事の二部以外は断行。水利権なども無いから農家の仕事にかかわる。

2人は急激に仲良くなる。